火災のあったパリのノートルダム寺院では、修復作業に伴う発掘調査で、未知の人骨2体が発見されていた。うち一方は碑銘から高位聖職者のものと判明していたが、もう一方の人骨の身元は不明だった。このほど発表された鑑定調査では、16世紀の詩人ジョアシャン・デュベレーの遺体である可能性が高いとの結果が得られた。
デュベレーはプレイヤッド派と呼ばれるルネサンス期の詩人のグループに属し、1560年に30代で亡くなった。滞在先のローマで望郷の念を歌った「幸いなるかな ユリシーズのように(・・・)経験と分別を身に着けて故郷にもどり 親族にかこまれながら余生を送ることになる者は」で始まる詩で特に名高い。発見された遺体は鉛の棺に納められ、交差廊と呼ばれる教会建物の中央部分の床石の下に埋葬されていた。鑑定結果によると、遺体の年齢は30代でデュベレーと一致。また、デュベレーは病のため聴覚障がい者となっていたが、遺体の頭蓋骨には、聴覚障害を引き起こす結核による病変がみられた。また、デュベレーはローマ旅行を含めて騎馬をよくしたことで知られるが、遺体にも騎馬に対応した骨の変形がみられた。
デュベレーはパリ大司教で枢機卿も務めたジャン・デュベレーの甥で、ノートルダム寺院内サンクレパン小礼拝堂に埋葬されたジャン・デュベレーの隣に埋葬されたとの記録が残っているが、その場所からは遺体が発見されていなかった。何らかの事情で交差廊に改葬された可能性などが考えられる。ただ、遺体の身元を100%断定する材料には欠けるため、今のところは確からしい推定の域にとどまるという。
KSM News and Research